ゴッホの手紙から読み解く
:信仰と苦悩、そして「人格を育てる」絵画鑑賞
2022年5月3日
まとめ
| 本記事では、23歳までの若きゴッホが綴った手紙を通じ、彼が画家になる前、いかに深い信仰心と独自の「人間観」を持っていたのかを解説します。 「苦難の先に救いがある」物語への共鳴 ゴッホは、宗教文学『天路歴程』を人生の指針としていました。「人生は天国への旅であり、嵐や苦難は避けられないもの」という物語を内面化しており、各地を転々とする不安定な生活も、彼にとっては信仰を深めるための「必要な試練」でした。 父への罪悪感と「牧師」への切望 画商を解雇された後、ゴッホは父と同じ牧師の道を猛烈に志します。手紙には「自分は罪を犯した、雇い人の一人にしてほしい」といった切実な言葉が並び、父親に対する強い敬愛と、期待に応えられない自分への深い罪悪感が、彼の行動原理となっていたことが伺えます。 絵画は「人格をインストールする」ためのもの 最も興味深いのは、ゴッホ独自の絵画鑑賞法です。彼はレンブラントやミレーの作品を単に鑑賞するのではなく、そこに描かれた人物の精神性を「自分の中にインストールし、人格を育てる」ための手段と考えていました。この深い洞察が、後の「画家・ゴッホ」の土壌となったのです。 |
ゴッホの本当の姿を求めて:第3回「遍歴と信仰、そして絵画への目覚め」
いつもご視聴ありがとうございます。今日は4月26日、午前10時から収録しています。
「ゴッホの手紙」を読み解くこのシリーズも、今回で第3回目を迎えました。まだまだ先は長いのですが、今回はゴッホが23歳ごろまでに歩んできた道のりを、彼自身が綴った手紙を通してご紹介します。本人が書いた言葉を通して、ゴッホという人が本当はどういう人物であったのか、その姿を皆さんと共に探っていければと思います。
今回扱っている本は、2020年に新潮社から発行された、圀府寺司(こうてら つかさ)さん訳の『ファン・ゴッホの手紙』全3巻です。この新しく、精緻な翻訳を活用してお話ししていきます。
1876年、各地を転々とする日々
前回は、ゴッホがパリの画商(グーピル商会)をクビになり、「4月1日までは働けるが、その先はどうしようか」という不安の中にいるところで終わりました。
そこからのゴッホは、イギリス、オランダ、ベルギーと各地を転々とします。そして1876年、彼はイギリスの寄宿制男子校で教員助手として働くことになります。
ここはウィリアム・ストークスという人物が経営していた私立学校で、かなり恵まれた家庭の子供たちが集まる場所でした。ロンドン近郊のラムズゲートという町にありましたが、その後すぐにアイルワースという場所へ移転し、ゴッホもそこへ移ります。
1876年の4月から10月にかけて、彼は実に出発先々から弟のテオに近況を報告しています。そしてその後、彼は再びオランダのアムステルダムへと戻っていくのです。
人生の指針となった物語『天路歴程』
改めて彼の手紙を読み返して感じるのは、「人は何らかの物語に影響され、自分の人生もこうあるべきではないか」という理想を持って生きている部分がある、ということです。
ゴッホの場合、その精神に大きな影響を与えたのが、ジョン・バニヤンの『天路歴程(てんろれきてい)』という本でした。これは、キリスト教徒が様々な苦難を乗り越えて天国へと向かう旅を描いた、非常に有名な宗教文学です。
ゴッホはこの物語を心底愛していました。度重なる苦難は「仕方のないこと」であり、むしろ「人間はそうあるべきだ」とさえ思っていた節があります。苦難の先にこそ天国(救い)がある。そんな「人生の物語」が彼の潜在意識に刷り込まれており、それが彼の手紙や生き方の展開にも強く影響しています。
私は、このゴッホの生き方をある意味「反面教師」にしています。彼のように苦悩に引きずられるのではなく、この現代において「自分らしい生き方」を模索するために、彼の通った道を正確に知っておきたい。そう思いながら、この手紙を読み進めています。
自然の中に神を見る
ゴッホは手紙の中で、自然の景色を非常に美しく、かつ緻密に描写しています。しかし、それは単なる写生ではありません。聖書に出てくる庭園や池といったイメージを自然の中に重ね合わせており、宗教と自然の境界がほとんどなくなっているように感じられます。
当時の彼は牧師を目指していました。1876年11月、アイルワースからテオに宛てた手紙には、こんな一節があります。
「私たちの人生は、生まれた場所から遥か彼方の天への旅に例えられましょう。人生の始まりは、川を船で下るようなものです。しかし、間もなく波は高く、風は激しくなって、気づかないうちに広い海に出ているのです。」
彼は人生を海に例え、嵐や潮の満ち引きの中に「神の御業(みわざ)」を見ようとしていました。現代なら、美しい景色は写真や動画でSNSにアップすれば済みますが、ゴッホはそれを見事な言葉、あるいは手紙の端に描いた小さな挿絵で表現しようとしたのです。
牧師への切望と、拭えない「罪悪感」
ゴッホがなぜこれほどまでに牧師になりたいと願ったのか。それを物語る、ある牧師に宛てた手紙があります。
彼は「自分は年齢もいっており、ラテン語やギリシャ語の準備もできていない。学歴も不足している」と自覚しながらも、教会の仕事に就きたいと切望していました。
そこには、父親への複雑な思いも透けて見えます。
「お父さん、私は天に対しても、お父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」
こうした放蕩息子の寓話を思わせるような罪悪感と、「自分を救ってほしい」という切実な祈りが、当時の彼の文章のあちこちに溢れています。
金銭感覚と、唯一の豊かさ
テオとのやり取りからは、ゴッホの金銭感覚も垣間見えます。
テオが「展覧会を見に行きなさい」とお金を送ってきても、彼は「勉強があるから」と返金しています。一方で、「お金があると、なくてもいい本などをすぐに買ってしまう。今でさえ誘惑と戦うのは容易ではない」とも告白しています。
彼は、あればあるだけ使ってしまう自分の性格をよく分かっていたのでしょう。
しかし、彼はこうも言います。
「この世界では、人はやはりいつも貧しく暮らしに困るものだ。ただし、一つのことにおいて人は豊かになれる。それは神の前に豊かになれるということだ。」
絵画鑑賞の「深い効能」:人格をインストールする
今回、私が最も重要だと感じたのは、1878年4月の手紙にある「絵を見る目」についての一文です。ゴッホは、レンブラントやミレーといった画家の作品を通して、「内的で精神的な人間になることができる」と考えていました。
「優れた作品の中の人物を知ることによって、自己の内部にそのような人間を育てていくことができるのではないだろうか。」
つまり、絵の中の人物の生き方や人格を自分の中に「インストール」し、それを熟成させることで、自らの人格形成に役立てようとしていたのです。単に「美しい」と眺めるだけでなく、これほどまでに深く、切実に絵画を「味わい、学んでいた」ことに驚かされます。
挫折、そしてボランティアの道へ
その後、ゴッホはアムステルダムで必死に勉強を続けますが、残念ながら大学の受験に失敗してしまいます。
そこで彼は、自分ができることとして、環境の過酷な炭鉱地帯「ボリナージュ」へ、人々の信仰を支えるボランティア(伝道師)として赴くことを決意します。
こうして各地を転々としながら、自分の天職とは何かを問い続け、手紙を書き、本を読み、絵を見ることで、次第にその人格を形成していったのです。
今回は、ゴッホが伝道師として新たな道へ踏み出すところまでをご紹介しました。
次回は、この炭鉱地帯での経験が、彼をどのようにして「画家」へと向かわせたのか、その核心に迫っていきたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。