ゴッホの手紙ーロンドン時代(1873ー1875)
2022年4月18日配
内容まとめ
今回の配信では、最近手に入れた新装版の『ファン・ゴッホの手紙 I II』(新潮社)を紐解きながら、私たちが抱く「狂気の天才」というイメージとは異なる、若き日のゴッホの素顔に迫りました。 新資料が明かす真実: 2009年のアムステルダム・ゴッホ美術館による大規模な調査を経て、2020年に刊行された小寺尊氏訳の新装版。そこには、これまでの定説(貧乏、不当な評価、狂気)を覆すような、知的で思慮深いゴッホの姿が記録されています。 ロンドン時代の煌めき(1873-1875年): 画家として本格的に歩み出す前、20歳前後のゴッホが綴った言葉を紹介しました。自然の美しさに敏感に反応し、読んだ詩や哲学に深く共鳴するその姿勢からは、後の傑作群へと繋がる精神の根幹がすでに確立されていたことが伺えます。 「ただの人」としての探求: 「幸福になるためではなく、高貴さに到達するために人は生きる」という哲学者の言葉を引用したゴッホ。国籍を超えた「コスモポリタン(世界市民)」を目指した彼のひたむきな眼差しは、時代を超えて私たちの胸に響きます。 |
今日は4月18日月曜日、10時59分から収録しています。いつもご視聴ありがとうございます。
今日はですね、世田谷のMさんから玄米を送っていただきました。本当にありがとうございます。可愛らしいお菓子も2袋添えられていて、とても嬉しく、早速いただきたいなと思っています。Mさんはこれまでにも何回も玄米を送ってくださっていて、本当に助かっています。いろいろな方から応援をいただいて、このYouTubeを配信しながら、そして作品を制作しています。
いろいろな内容で配信してまいりましたが、番組を視聴してくださっている方が、私のこのラジオ番組を紹介するブログを書いてくださいました。「アート」さんとおっしゃる方で、概要欄にリンクを貼っておきますので、ぜひ皆さん見ていただけたらと思っています。このアートさんが、「現代アートYouTubeおすすめチャンネル 画家・川田祐子の画家ラジオ」というタイトルをつけてくださり、この番組を分析してくださいました。
目次がしっかりと項目立てられていまして、「1. 作家配信のYouTubeの魅力を掘り下げてみましょう」「2-1. 画家ラジオ」「2-2. アート百科」と。そうですね、二本立てでやっていますので、その内容をそれぞれ本当に的確な文章で紹介されています。そして「3」「4」を英訳にして、英文でも掲載してくださっています。本当にこのようなことをしていただいて、なんとお礼を言っていいのかわからないのですが、ちょっと読んでみますと本当に感動しまして、「こんなに書いてくださったんだ」と思いました。
「このチャンネルの最大の魅力は、深く美術について、ご自分について語られるところです。どんな内容の回も、川田さん独特の多角的な詩や芸術、哲学、経済などのフィルターを通す焦点の当て方が興味深い」というふうに書いてくださっています。魅力なども項目を立てて書いてくださっていますので、ぜひ皆さんご自身で見ていただけたらと思います。アートのブログサイトを作っていらっしゃる恵さん、本当にありがとうございます。
それから、いろいろな内容になってきてしまいまして、経済学も何回か続けてみましたが、ちょっとタイトルが硬いので、これからどうなるのか、また気が向けば語ることもあるかと思います。とりあえず、今私の方で何冊も本を読んでいまして、皆さんと情報共有したいなという本が何冊もあるんですね。
といいますのは、「アート百科」を杉野さんと収録する際にも、かなりいろいろな下調べがあります。ウェブサイトだけではなく、重要な文献資料を取り寄せて、必ずよく目を通して、そこから情報を紡ぎ出して内容を固めていくのですが、そのときに今まで持っていた本が結構あることもあるんですが、一度持っていたのに売ってしまったのをまた買い直したりとかですね。
結構この「アート百科」を作っていくのにはお金がかかっているのですが、またこれをやっていると、読んでみたい本がいろいろ出てきてしまいまして。「困ったな、もうここまで買えるだろうか」と思っていたところに、横浜の栄一さんから支援金が送られてきまして、思いもかけずいただけました。本来でしたら画材などを買うのですが、ちょっとここはどうしても「アート百科」のために買いたい本が出てきてしまいまして……。
これが、実は税込で1万9,800円する本なんですね。これは何という本かと言いますと、『ファン・ゴッホの手紙』というものです。おかげさまで、栄一さんのおかげでこれを買いまして、早速読みました。そして、この本を買うにあたって(英治さんのおかげもあるのですが)、そもそもなぜ買いたいと思ったかといいますと。
先日、「写実の美」という「アート百科」で、人物画というか肖像画をいろいろ並べて菅野さんとお話ししている回があるのですが、その中にゴッホの自画像が出てくるんですね。大変、ゴッホといえば誰でも知っている画家なので、私自身も知っていることは結構あるつもりでいましたが、よく考えてみると、ゴッホの手紙を読んだのも中学生か高校生くらいの時なんですね。なので、「もう一度なんて書いてあったかな」とか。内容は知っているつもりでいるけれども、案外もう記憶の奥の方にあるので、もう一度読んでみたいな、なんて思い始めたんです。
そこでウェブサイトで調べてみました。ゴッホの手紙はいくつかの出版社から出ていますので、どれを買ったらいいのかなと思って調べてみましたら、なんと2009年の記事に、このようなことが書かれていました。
実は2009年に、アムステルダムにありますゴッホ美術館が、ゴッホの手紙をもう一度研究し直して、詳細な記録やデータをウェブサイトに満遍なく紹介したんですね。手書きで書いてあるゴッホの文字を、ワープロというかパソコンの文字で書き起こし、さらにところどころにゴッホが施しているドローイング(図柄)の画像も必ず掲載して一般公開しているんです。
すごい膨大なデータなのですが、この手紙をゴッホは902通も書いていまして、これまでは902通を丹念に研究したという人が実のところはいなかったのだそうです。なので、15年をかけてこの902通の手紙を、ゴッホ美術館の研究チームが分析しました。そして、その研究成果をすごい豪華版の6巻の書籍にまとめたんですね。それを出版したのが2009年なんです。
その時の研究の成果を紹介している記事に、こういう文章が出てきました。「貧乏で狂った天才のイメージ、真実と違う」というタイトルです。オランダの研究チームは15年の年月をかけて計902通の手紙を丹念に分析した。ゴッホは「苦悩する芸術家」の典型とされているが、分析の結果、それ以上の味わい深い側面を持つゴッホの姿を浮かび上がらせることができた、と研究チームの一人、ハンス氏は指摘しています。「ゴッホの神話を打ち砕くようで申し訳ないが、彼は貧乏にあえいでいたわけでも、不当な評価をされていたわけでもなかった。狂った天才でもなかった」と、こういうふうに書かれていたんですね。
私はこれを読んで、とにもかくにも「これを読んでみたい」と思いました。ところが、この記事の文献(6巻本)は英訳されているものなんですね。日本でいくらで売っているのかと思いましたら、なんと「83万円」ということで……。どこか図書館にはあるのでしょうけれども。私の母校の大学図書館の検索をしましたところ、杉並校舎と相模原校舎の両方に1セットずつ所蔵されていました。本当でしたらそれを直接見に行きたいと思いましたが、ちょっと(情勢的に)不安定な状況なので、なんとかこの内容だけでも読める本はないだろうかと調べました。
すると、Amazonで検索しましたら、なんと2020年に、このアムステルダムの本をさらに日本人の翻訳者が翻訳をして、新潮社から2冊本で刊行されているということがわかりました。この翻訳された方のご努力といいますか。小寺尊氏(こてら たかし)さんという方が、何年もかけて翻訳されたのですね。2009年にアムステルダムの美術館が刊行して、それを日本語に翻訳して2020年に発行したということは、11年かけているということですね。
10年以上をかけてこの翻訳をされていまして、以前に「みすず」や「岩波文庫」などで出たものもあるのですが、実はアムステルダムの研究チームによると、どうも「贋作の手紙」も今までは含まれていたそうで、今回そういうものは「これはゴッホの手のものではない」と省かれたんですね。
そして言葉も、小寺さんの翻訳の最初に書かれている文章によりますと、「今までの文章は少し硬かったので、平易な、今一般的に使われている言葉で親しみやすい文章に書き換えた」とおっしゃっています。このような本が、時間軸で「1」と「2」のセットになっていまして、これをざっとなのですが見てみましたら、本当に「ゴッホの人となり」といいますか。
私が思い描いていたゴッホというのは、よく考えてみますと、おそらく小林秀雄氏の『ゴッホの手紙』の文庫本などから影響を受けているところがありますので、そういう意味で、かなりフィルターがかかった状態でゴッホを感じてきたかなと思っています。
なので、私はぜひこの本を皆さんに紹介したいと思いました。全部を読み上げるということはできませんし、著作権の問題もありますので、私が「これは面白いな」「重要だな」「ゴッホの人となりがよくわかるな」と思うところを少しかいつまんで、なるべくどこを読んだかわかるような形で、これから少しずつ読み上げていきたいなと思っています。
今回私が選んだところなのですが、ゴッホは頻繁に手紙を書いています。当時は電話もないしインターネットもありませんから。遠くに離れた弟・テオとの連絡には手紙しかなかったことは確かですが、ただ単に必要事項を送るというのではなく、かなり「日記的」な意味合いが強いなと思います。
手紙には、ゴッホが読んだ本、見に行った絵や美術館、景色、そして読んだ本の中の詩や文章で良いところをそのまま書き写しているんですね。「これを弟にぜひ読んでもらいたい」と思って書いているわけですので、それを読むだけでも、ゴッホがどのような気持ちで書いたかということが想像できて、私自身がよりゴッホの精神性や内心、人柄を知るきっかけになるんです。
そして、そこには兄弟の間の関係性も出てきます。いかに弟のテオが兄のよき理解者であったか、お互いが絵画ということでいかに強く結ばれていたかということがよく分かります。たまには意見が食い違ったり、感じ方が違ったりする場面も出てくるのですが、テオからもいろいろなアートの情報を得て、それを自分の制作に生かしている部分もあるんじゃないかなと思うんです。
と言いますのは、ゴッホもそうなのですが、かつて「グーピル商会」という画廊兼画商に勤めていまして、ゴッホが辞めた後もテオがそこにお世話になるという形で、どんどん新しい画家の情報を得ていたのですね。「こういうものを扱っているよ」と連絡してきたり、逆にゴッホの方から「こういう絵を複製でもいいから僕に送ってもらえないだろうか」と依頼したりもしています。
今日は、そういう中で私が読んでいて「これはまるでゴッホの絵のようだな」と思った詩がありましたのでご紹介します。これは1873年、まだまだゴッホがパリにもアルルにも行っていない、画家として活躍する少し前の手紙です。ロンドンにいた頃に弟に宛てて書いた手紙で、便り自体は短いのですが、ハンス・クリスチャン・アンデルセン(※原文「830ルース」等は聞き取り推測と思われます)の『掛かり人』という本の中に出てくる「黄昏」という詩が、手紙のほとんどを占めています。この「黄昏」という詩がとても美しくて、私はまるでゴッホの絵のようだなと思ったので、ここを読み上げてみたいと思います。
「1873年7月20日、ロンドン。ヴィンセントより。シュミットさんとエドワードによろしく。店員のおじいさんとおばあさんの具合はどうか、行くようなら知らせてください。くれぐれもよろしくお伝えください。」
(ここから詩が始まります)
「黄昏、緩やかに野に響きわたる晩鐘。黄金の夕日の輝きに浴して安らぐ。荘厳、感動の国。ブラジルの母たちは、ふと糸巻きの音を止め、十字を切って祈る。
畑の農夫は湯気立てる馬を抑え、仕事の後で帽子を取り、祈りを呟く。荘厳、感動の国。一日の仕事の終わりを鐘が広く伝える時、力強く汗のしたたる頭を主の前に垂れ、主は溝に落ちた汗を(中略)へと導かれる。
画家は陰った丘の斜面にいて、朝早くより絵を描き、今、晩鐘が退却の合図を送れば、静かに筆とパレットを拭き、画布と共に画材箱に収め、椅子を畳むと夢見るように坂道を下る。道は花咲く谷を通り、緩やかに曲がって未来に続く。
されど丘の麓に着くまでに、何度心を揺さぶられ、立ち止まったことか。眼下に広がる瑞々しい眺めを今一度心に刻むため。目の前に村、北と南には丘。二つの丘の間に赤く燃える火は西に沈み、色彩の輝きと光の魔術すべてを流れさせた。
新緑に絡まれた灰色の塔の中の鐘は、今や沈黙し、茶色い風車の羽根は動きなく高みに留まり、木の葉もじっと動きなく、家々の上には泥炭の青き煙がまっすぐ煙突から昇り、それらもまた煌めく空に動きなくぶら下がるかのよう。
あたかも村も畑も丘も、辺り一面何もかもが、太陽の『おやすみ』の口づけをもらって眠るため、夜露の服をまとう前、静かに感謝して再び味わった平和と豊かさを思い出すかのよう。しかし、間もなくこの沈黙は夜の甘い音色に再び優しく破られる。
東北の丘の窪地から潮を呼ぶ角笛の音が長く響く。牧童のこの合図を聞くと、すぐに砂の山道に色とりどりの牛の群れが現れ、少年の鞭が(中略)を進め、牛たちの方は首を伸ばし、親しげな鳴き声を上げ、遠くから牛舎の方に呼びかける。
そこでは毎晩、乳搾りの女が張った乳房を軽くするため待っている。そして、車軸から延びる後光のように走る日に、次第に動きと生活が広がっていった。そこでは一人の農夫が鍬と(中略)を乗せて家へと向かい、脇の馬に乗りながら笛を吹く。
向こうには顔を赤らめた少女が、かぐわしいクローバーの里、雛菊と芥子の花で髪を飾り、遠くから誰かに優しく楽しげに澄んだ声で『こんばんは』と呼びかける。それから画家が辿ったその道に、突然大きな笑い声が響いた。
荷車がゆらゆら揺れて倒れそうになりながら、摘んだばかりの蕎麦の穂をいっぱい積んでゴロゴロ近づいてくる。馬も積荷もたなびくリボンと青葉で飾られ、子供たちは皆金髪の頭に花の冠を載せて、パンの木の枝を嬉しそうに振る。
あるいは(中略)、荷車の周りには少年や少女の一群が飛び跳ね、歌い、まどろむ部屋を丸ごと起こした。静かに微笑みながら、画家は茂みの後ろから見た。デコボコ道をわめきながら、のろのろよろよろ歩く男。『さあ行こう』と男は呟いた。『さあ行こう』の手にも心地よく響くに違いない。
喜びの声は、人々が毎年、大地の恵みで記憶されるあの最後の実りを集める時も、単純に発する喜びの声。喜びこそ単純で無垢な、最も清らかな祈りだから。
かくして、魂が畑で味わう静かで深い喜びを考えながら、あるいはもう一度、しばし前の素晴らしき光景を静かな喜びの中、芸術家の心で再現しながら、男は自分でも知らぬうちに村にぶらぶら入っていた。西では既に紫と黄色は灰色に色褪せて、東には教会のすぐ横に石の色の満月が霧に包まれて昇る。そんな頃、男が寄宿していた宿『白鳥』に入っていった。」
1873年7月20日の手紙でした。そしてこの後、1874年の1月の初めにロンドンで書かれた手紙の中には、このようなことが書かれています(これは全文ではありません)。
「たくさん散策をするよう常に心がけて、たくさん自然を愛するようにすること。それこそが芸術の理解をもっともっと深めるための王道だから。画家たちは自然を理解し、愛し、僕たちに見方を教えてくれる。
それから、そこそこに良いものしか描けない画家たちもいる。そこそこに良いことしかできない平凡な人たちもいるのと同様、悪くはないという程度のものしか描くことのできない画家たちのことだ。
僕の方は順調だ。いや、申し分ないし、ロンドンとイギリスの生活様式やイギリス人を見ているのはとても楽しい。その上、僕には自然と芸術と心もあって、これ以上一体何が望めるだろうか。それでもオランダのこと、特にハーグのことを忘れたことはない。」
これはこの手紙の一部分です。そして、ロンドンの1874年2月9日、これはカロリーネさん宛てに書いたものです。
「カロリーネさま、お便りをしなければと思い、筆を執りました。我ら共に在りし時はなんと良い日々だったでしょう。あなたを忘れるようなことがないのはご承知の通り。ただ、お手紙を書くとなると、なかなか思うようにうまく筆が進みません。
私はここで豊かな生活を送っており、無一物のようでいて、すべてのものを所有しています。特に自分は徐々に本当のコスモポリタンになりつつあると思うことがあります。オランダの人でもイギリスの人でも、フランスの人でもなく、『ただの人』になるという思いです。
そして、祖国というのは世界全体のこと、世界の中で私たちが置かれた場所のことだという思いです。もっとも、まだそこまで辿り着いてはいませんが、それでも私にも掴めるかと思って追い求めています。」
テオ宛てだけではなく、中にはさまざまな方に書いた手紙も含まれていました。もちろんテオ宛てが一番多いんですけれどもね。
まだ時間があるので、もう少し読んでみましょう。先ほど読んだところにもあるように、ゴッホは自然の美しさにとても敏感です。ですので、手紙のあちこちに、自分が見た自然や植物について細かく記している文章があります。例えば、ロンドンで書かれた1874年4月30日のテオ宛ての手紙には、このような植物が出てきます。
「散歩には僕も一緒に行きたかった。こちらでもできるだけ散歩するようにはしているが、とても忙しくて。ここは本当に美しい。街中ではあるが、どこの庭にもライラックやサンザシや金鎖(きんぐさり)などの花が咲き、そして栗の木が見事だ。
真に自然を愛する人はどこにいても美しさを感じられるものだが、それでも僕は特にオランダが懐かしくなることがある。今、庭仕事に精を出していて、家の庭いっぱいにスイートピーとケシと木犀草(もくせいそう)の種を植えた。あとは、どんなふうになるのかを待つだけだ。」
同じ4月30日の別の手紙にも、短いですが花のことが書かれています。
「こちらではリンゴの木などが見事に花を咲かせている。ここではどの花もオランダより早い気がする」と。
そして、私がロンドン時代にゴッホが書いた手紙の中で、一番興味深かった文章があるのですが、これは1875年5月8日のテオ宛ての手紙の最後に、追伸として引用されているルナン(哲学者・宗教学者)の文章です。
「この世で生きていくには、自己を滅却せねばならない。宗教思想の伝道者だとする者には、この思想の他に拠りどころはない。
人は幸福になるためだけにこの世にいるのではない。ただ正直であるためだけにここにいるのですらない。社会を通して偉大なることを実現するため、高貴さに到達するため、ほとんどの人々が引きずっている生活の卑俗さを乗り越えるため、人はこの世にいるのである。」
これはちょっと胸に刺さるような文章でした。先ほどの詩にしても、このルナンの引用文にしましても、この後のゴッホの生き方や考え方、業のあり方そのものが予告されているかのように思えてなりませんでした。
つまり、ゴッホの制作姿勢というのは一貫しているように私には思えます。そしてそれは、パリに行ったからとかアルルにいたからというのではなく、もうすでにロンドンにいたときに、彼のこれからの未来が決まっていたような気がしてなりません。
今回読み上げましたゴッホの手紙は、ロンドン時代、1873年から1875年にかけての手紙でした。当時、ゴッホは何歳かと言いますと、大体20歳くらいですね。20歳でもうロンドンにいます。そもそもロンドンに行く前は、ゴッホは同じグーピル商会のハーグ支店に勤めていたのですが、その中で異動があって、ロンドン支店に転勤になったんですね。
表向きは栄転だったようなのですが、実際のところはその商会に紹介してくれた叔父さん(セント叔父さん)との関係が悪化したり、いろいろな問題があったとWikipediaには書いてありました。それでハーグを追い出されたような感じでロンドンに行って、そこから手紙を書いています。
グーピル商会というのはとても幅広く商売をしていた画商で、パリ本店もあったようですが、次回はこのパリ本店に転勤となったゴッホが書いた手紙なども紹介できればいいなと思っています。
今回は、ロンドン時代のゴッホの手紙の、私が興味深かったところをピックアップして読み上げました。ここまでご視聴ありがとうございました。しばらくはゴッホの手紙を読み上げていくと思います。ご興味のある方はぜひチャンネル登録よろしくお願いいたします。